わ的にはⅡ…

「北の国」のチョット南から

カテゴリ: 戯言

連休明けの火曜日の夜のこと。

洗濯かごを持って部屋を歩いていたら足を滑らせて転倒。

脇にあったカラーボックスの角に左胸を打ち付けました。

痛てて…まぁ、打撲でしょう。

湿布貼って痛み止め飲めば2、3日でよくなるものと高をくくってました。

ところが、痛みは一向に軽くならず。

不承不承ではありますが、仕事帰りに整形外科へ。

「ボキッとではありませんが折れてます、骨折です」

「フゼン骨折です」

そっかぁ折れてましたか。えっ、フゼン骨折って?

薬局で薬を待つ間

「フゼン骨折」を検索してみると「不全骨折」とありました。

要は「ひびが入った」というやつですね。

日頃の行いが悪いから怪我をしちゃったという意味で

「不善骨折」の方が自分にはフィットするような気がしたり。

全治は2~3週間だとか。

昨冬には右足の疲労骨折をやっちゃって…骨が弱っているのかな。

まぁ、トシだもんね。カルシウム摂らなくちゃ。

お医者さんからは安静にするようには言われなかったので

痛みの具合をみながらフツーの生活をしていこう。

で、明日はマラソン大会。

痛みに苦しまない程度(?)に走ればいいかな。

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去年の12月18日(日)に痛めた右足。

病院では2か所で「腱鞘炎」と診断され、

3か所目で「疲労骨折」と診断されました。

どの診断が正しいのか…いや、どれも違うのかしら?

自分の身体のコトではありますが、確信のないまま過ごしてました。

そして昨日

疲労骨折を診断した病院から運動再開を認められました。

急にペースをあげない。痛みが出たらすぐ止める。

という「但し書き」つきですが。

つぎの週末は、いわき市で開催のフルマラソンの出るつもりでしたが

こちらは観光旅行に変更。

1か月後のハーフマラソンの大会出場を目標に

じわっ、じわっとトレーニングを再開していこう。

いやぁ~長かった。

若いときと違って怪我すると回復に時間がかかります。

筋肉も落ちゃっているんだろうな。頑張ろ。




 

浄土ヶ浜を離れ、お土産でも…ということで

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道の駅へやってきました。

駐車場はほぼ満車でしたが、ちょうど出る車があったのでスルリと駐車。

こちらの道の駅は

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海のすぐそばにあります。

そして、この日はとっても穏やかなお天気でもあり

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海ももちろん青くって静か。振り返ってみると

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そこかしこに釣り糸をたれる人たち。

ほのぼのとした土曜日の午後…いいですねぇ。

ただ、こちらは津波の被害を受けた場所でもあり、道の駅の建物には

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「津波浸水ライン」が外壁に表示されていました。

説明書によれば、浸水深は5メートルとのことで

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その当時の写真も掲示されていました。

今自分が立っている場所がそうなんだ…と思うと胸が詰まる思いになります。

そう、浄土ヶ浜では

3つある駐車場のひとつには仮設住宅が建てられていました。

そこで思い出したのが、先日読んだ江戸時代の記録…

青森の町のようすを外来者(旅人)が記録したものです。

当時の青森は、大規模な火災と飢饉から3年

そして大地震の被害から22年を経ていたのですが

町にはあちらこちらに「原野」=人が住まなくなり(死亡・逃散)できた空地があり

家数は災害前の3分の1であると…町の人から聞いた話を記しています。

しかも、おなじ頃に訪れた3人が記しているので、きっと間違ない話なのでしょう。

また、江戸時代と現代とでは時代環境は違いますが、

災害で大きな傷を受けると、復旧・復興は膨大な時間がかかるのでしょう。

もう5年ではなく、まだ5年…なのかなぁ。

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2年続けての宮古。

何ができるという訳ではありませんが

身体が続く限りは年に1回は足を運びたい…そう思っています。 

部屋に埋もれていた本を発掘…一体いつ買ったんだろ。

きっとタイトルに惹かれたんだろうなぁ。

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小川糸著『食堂かたつむり』

先日、札幌へ帰るときの友としました。

3分の2ほど読んだ辺りで気が付きました。あっ、コレ映画になっているね。

なぁ~んとなく、うっすらとストーリーに覚えがあって、妙な気分であったのです。

それにしても、かなり読んでからようやく気が付くとは情けない…

とても印象に残った一節をご紹介。

「人は、いつも澄んだ気持ちでなんていられない、と思う。

みんな、濁り具合の程度の差こそあれ、心の中を満たしているものは泥水だ。

(中略)

だから私はその泥水をきれいに保つため、なるべく静かにしていようと決めた。

水の中で魚が動き回れば濁った泥水になってしまうけれど、

心を穏やかにしていれば、やがて泥は下に沈み、上の方はきれいな水になる。

私はきれいな水でいたかった。」

なるほど…トシととるにしたがって、

静かに、心穏やかに日々を送りたいと思う気持ちが強くなってきたのは

心の下の方に沈殿している泥をかき回したくないからなんだね。

自分のばあい、長いこと溜めてきた汚泥だから匂いもきつそうだし…納得。

(すっかり忘れていたけれど)映画で観たから…ではなく

やはり原作をしっかり読んでおくことはいいものですね。

と、思った夏の読書。 

今週、とあるところに発表するつもりで書いた原稿の下書きですが、
半ば自主規制的にボツにしちゃいました。

 ただ、ブログであれば自分の責任で発表できるので…。


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7日付の『陸奥新報』の1面トップ記事で、弘前市内で現在は商業施設として利用されている旧陸軍第八師団の乗馬練習場だった建物が、老朽化・耐震性の問題から建て直しが検討されているという話題が報じられました。戦後70年を経過し、こうした戦争遺跡の保存は曲がり角にきている…そんな思いを抱くニュースです。

 

 さて、青森市では市街地に大きな被害をもたらした、昭和20年7月28日の空襲の日を忘れず、平和への思いを未来に引き継いでいくということから、728日を「青森市平和の日」と定めました。そこには「空襲があったという歴史的事実を重く受け止め、後世に語り伝え、二度と戦争の惨禍を繰り返さない」(青森市平和の日条例)という思いが込められています。

 

 一方、青森市街地が大きな被害を受けた青森空襲については、70年という時間の経過とともに人々の記憶、さらにはまちの風景からも失われつつあります。そんななか、空襲で焼失を免れた建物がひとつ消えていくことになりました。この建物も冒頭の弘前市の事例と同様で、現在は商業施設となっています。そして、この商業施設の閉店とともに建物が解体されます。

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民間の施設なので解体に至る理由・背景は分かりませんが、単純に考えてみても建物そのものの老朽化は避けようのないことでしょう。しかも、こうしたケースはこれからますます増えていくものと思われます。

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 「青森市平和の日」は今年から始まります。

 「平和への思いを、未来を担う子どもたちに引き継いでいくことは我々の責務である」(青森市平和の日条例)と、私たちはこの日を育て実のあるものにしていかなくてはなりません。ただ、一方でその取組みの基本的な部分(=戦争の記憶の喪失・風化)は実はまったなしの状況にあることも現実なのです。(未完)

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青森市の人々のなかには「青森には歴史はない」という認識をお持ちになる方が多くいます。
でも、そんなはずはないことはちょっと冷静に考えばわかること…

三内丸山遺跡のあるこのまちに、綿々と続く人々の歩みがなかったなんて考える方が難しい…

このまちで暮らしてきて感じていることは、「青森には歴史がない」というこの言葉には

弘前城のような景観がないこと

学校教育で「ふるさと青森」を伝えてこなかったこと、しかも誇りに思える青森を…

そんなことが背景にあると思います。

そして、これはもちろん無意識のことなんだろうけれど「人為」であると思います。

だから、これからも「それは違うんだよ」って

この町まちにはこんなにたくさん素敵なこと、誇りに思えることがあるんだよって

「インチキ青森びと」は叫び続けていきます。

もちろん、情緒的なものに流されず…です。

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