わ的にはⅡ…

「北の国」のチョット南から

カテゴリ: 戯言

名古屋から帰ってきたら…おやっ?

日本郵政からの「不在連絡票」が届いてました。

しかも、送り主はサッポロビール。おおおっ~なんだぁ!

ともかく、翌日に再配達していただきました。

20180226_201201

うぬっ、懸賞にあたったのですね。

応募した意識は希薄ですが…嬉しいですね。何たってS印ですし。

開封してみると

20180226_201419

さらなるビックチャンスのご案内もありました。

20180226_201431

左は3月6日、右の黒ビールの方は4月10日の発売予定だそうです。

「麦とホップ」も10年になるんですって。

発売直後は田村正和さんがCM出てたんじゃぁなかったっけ。

愛してやまないS印…美味しくいただきました。

ありがとうございます。

気がつくと、かれこれ1か月も更新していなかったのね。

この間、雪が降って季節がひとつ移ろいました。

肋骨の骨折も2か月が経ち、ようやく回復したようです。

通院は途中でやめちゃったので、シロウトの見立てですが。

現在は筋トレなどで「なまった身体」に喝を入れてます。

目標は年末までに1kg強の減量が目標。

そして、年が改まればすぐにフルマラソンが待ってます。

その前にやっておかなくちゃならないこともタクサン…

どうやら、この流れでは来年はすっごいことが起きそうな感じ。

先のことはともかく

さぁ、今日も穏やかな1日でありますように。

連休明けの火曜日の夜のこと。

洗濯かごを持って部屋を歩いていたら足を滑らせて転倒。

脇にあったカラーボックスの角に左胸を打ち付けました。

痛てて…まぁ、打撲でしょう。

湿布貼って痛み止め飲めば2、3日でよくなるものと高をくくってました。

ところが、痛みは一向に軽くならず。

不承不承ではありますが、仕事帰りに整形外科へ。

「ボキッとではありませんが折れてます、骨折です」

「フゼン骨折です」

そっかぁ折れてましたか。えっ、フゼン骨折って?

薬局で薬を待つ間

「フゼン骨折」を検索してみると「不全骨折」とありました。

要は「ひびが入った」というやつですね。

日頃の行いが悪いから怪我をしちゃったという意味で

「不善骨折」の方が自分にはフィットするような気がしたり。

全治は2~3週間だとか。

昨冬には右足の疲労骨折をやっちゃって…骨が弱っているのかな。

まぁ、トシだもんね。カルシウム摂らなくちゃ。

お医者さんからは安静にするようには言われなかったので

痛みの具合をみながらフツーの生活をしていこう。

で、明日はマラソン大会。

痛みに苦しまない程度(?)に走ればいいかな。

IMGP2878


去年の12月18日(日)に痛めた右足。

病院では2か所で「腱鞘炎」と診断され、

3か所目で「疲労骨折」と診断されました。

どの診断が正しいのか…いや、どれも違うのかしら?

自分の身体のコトではありますが、確信のないまま過ごしてました。

そして昨日

疲労骨折を診断した病院から運動再開を認められました。

急にペースをあげない。痛みが出たらすぐ止める。

という「但し書き」つきですが。

つぎの週末は、いわき市で開催のフルマラソンの出るつもりでしたが

こちらは観光旅行に変更。

1か月後のハーフマラソンの大会出場を目標に

じわっ、じわっとトレーニングを再開していこう。

いやぁ~長かった。

若いときと違って怪我すると回復に時間がかかります。

筋肉も落ちゃっているんだろうな。頑張ろ。




 

浄土ヶ浜を離れ、お土産でも…ということで

IMGP1338

IMGP1334

道の駅へやってきました。

駐車場はほぼ満車でしたが、ちょうど出る車があったのでスルリと駐車。

こちらの道の駅は

IMGP1337

海のすぐそばにあります。

そして、この日はとっても穏やかなお天気でもあり

IMGP1341

海ももちろん青くって静か。振り返ってみると

IMGP1342

そこかしこに釣り糸をたれる人たち。

ほのぼのとした土曜日の午後…いいですねぇ。

ただ、こちらは津波の被害を受けた場所でもあり、道の駅の建物には

IMGP1329

「津波浸水ライン」が外壁に表示されていました。

説明書によれば、浸水深は5メートルとのことで

IMGP1331

その当時の写真も掲示されていました。

今自分が立っている場所がそうなんだ…と思うと胸が詰まる思いになります。

そう、浄土ヶ浜では

3つある駐車場のひとつには仮設住宅が建てられていました。

そこで思い出したのが、先日読んだ江戸時代の記録…

青森の町のようすを外来者(旅人)が記録したものです。

当時の青森は、大規模な火災と飢饉から3年

そして大地震の被害から22年を経ていたのですが

町にはあちらこちらに「原野」=人が住まなくなり(死亡・逃散)できた空地があり

家数は災害前の3分の1であると…町の人から聞いた話を記しています。

しかも、おなじ頃に訪れた3人が記しているので、きっと間違ない話なのでしょう。

また、江戸時代と現代とでは時代環境は違いますが、

災害で大きな傷を受けると、復旧・復興は膨大な時間がかかるのでしょう。

もう5年ではなく、まだ5年…なのかなぁ。

20161112_141056

2年続けての宮古。

何ができるという訳ではありませんが

身体が続く限りは年に1回は足を運びたい…そう思っています。 

このページのトップヘ