浄土ヶ浜を離れ、お土産でも…ということで
道の駅へやってきました。
駐車場はほぼ満車でしたが、ちょうど出る車があったのでスルリと駐車。
こちらの道の駅は
海のすぐそばにあります。
そして、この日はとっても穏やかなお天気でもあり
海ももちろん青くって静か。振り返ってみると
そこかしこに釣り糸をたれる人たち。
ほのぼのとした土曜日の午後…いいですねぇ。
ただ、こちらは津波の被害を受けた場所でもあり、道の駅の建物には
「津波浸水ライン」が外壁に表示されていました。
説明書によれば、浸水深は5メートルとのことで
その当時の写真も掲示されていました。
今自分が立っている場所がそうなんだ…と思うと胸が詰まる思いになります。
そう、浄土ヶ浜では
3つある駐車場のひとつには仮設住宅が建てられていました。
そこで思い出したのが、先日読んだ江戸時代の記録…
青森の町のようすを外来者(旅人)が記録したものです。
当時の青森は、大規模な火災と飢饉から3年
そして大地震の被害から22年を経ていたのですが
町にはあちらこちらに「原野」=人が住まなくなり(死亡・逃散)できた空地があり
家数は災害前の3分の1であると…町の人から聞いた話を記しています。
しかも、おなじ頃に訪れた3人が記しているので、きっと間違ない話なのでしょう。
また、江戸時代と現代とでは時代環境は違いますが、
災害で大きな傷を受けると、復旧・復興は膨大な時間がかかるのでしょう。
もう5年ではなく、まだ5年…なのかなぁ。
2年続けての宮古。
何ができるという訳ではありませんが
身体が続く限りは年に1回は足を運びたい…そう思っています。
道の駅へやってきました。
駐車場はほぼ満車でしたが、ちょうど出る車があったのでスルリと駐車。
こちらの道の駅は
海のすぐそばにあります。
そして、この日はとっても穏やかなお天気でもあり
海ももちろん青くって静か。振り返ってみると
そこかしこに釣り糸をたれる人たち。
ほのぼのとした土曜日の午後…いいですねぇ。
ただ、こちらは津波の被害を受けた場所でもあり、道の駅の建物には
「津波浸水ライン」が外壁に表示されていました。
説明書によれば、浸水深は5メートルとのことで
その当時の写真も掲示されていました。
今自分が立っている場所がそうなんだ…と思うと胸が詰まる思いになります。
そう、浄土ヶ浜では
3つある駐車場のひとつには仮設住宅が建てられていました。
そこで思い出したのが、先日読んだ江戸時代の記録…
青森の町のようすを外来者(旅人)が記録したものです。
当時の青森は、大規模な火災と飢饉から3年
そして大地震の被害から22年を経ていたのですが
町にはあちらこちらに「原野」=人が住まなくなり(死亡・逃散)できた空地があり
家数は災害前の3分の1であると…町の人から聞いた話を記しています。
しかも、おなじ頃に訪れた3人が記しているので、きっと間違ない話なのでしょう。
また、江戸時代と現代とでは時代環境は違いますが、
災害で大きな傷を受けると、復旧・復興は膨大な時間がかかるのでしょう。
もう5年ではなく、まだ5年…なのかなぁ。
2年続けての宮古。
何ができるという訳ではありませんが
身体が続く限りは年に1回は足を運びたい…そう思っています。
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