今週、とあるところに発表するつもりで書いた原稿の下書きですが、
半ば自主規制的にボツにしちゃいました。

 ただ、ブログであれば自分の責任で発表できるので…。


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7日付の『陸奥新報』の1面トップ記事で、弘前市内で現在は商業施設として利用されている旧陸軍第八師団の乗馬練習場だった建物が、老朽化・耐震性の問題から建て直しが検討されているという話題が報じられました。戦後70年を経過し、こうした戦争遺跡の保存は曲がり角にきている…そんな思いを抱くニュースです。

 

 さて、青森市では市街地に大きな被害をもたらした、昭和20年7月28日の空襲の日を忘れず、平和への思いを未来に引き継いでいくということから、728日を「青森市平和の日」と定めました。そこには「空襲があったという歴史的事実を重く受け止め、後世に語り伝え、二度と戦争の惨禍を繰り返さない」(青森市平和の日条例)という思いが込められています。

 

 一方、青森市街地が大きな被害を受けた青森空襲については、70年という時間の経過とともに人々の記憶、さらにはまちの風景からも失われつつあります。そんななか、空襲で焼失を免れた建物がひとつ消えていくことになりました。この建物も冒頭の弘前市の事例と同様で、現在は商業施設となっています。そして、この商業施設の閉店とともに建物が解体されます。

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民間の施設なので解体に至る理由・背景は分かりませんが、単純に考えてみても建物そのものの老朽化は避けようのないことでしょう。しかも、こうしたケースはこれからますます増えていくものと思われます。

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 「青森市平和の日」は今年から始まります。

 「平和への思いを、未来を担う子どもたちに引き継いでいくことは我々の責務である」(青森市平和の日条例)と、私たちはこの日を育て実のあるものにしていかなくてはなりません。ただ、一方でその取組みの基本的な部分(=戦争の記憶の喪失・風化)は実はまったなしの状況にあることも現実なのです。(未完)

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青森市の人々のなかには「青森には歴史はない」という認識をお持ちになる方が多くいます。
でも、そんなはずはないことはちょっと冷静に考えばわかること…

三内丸山遺跡のあるこのまちに、綿々と続く人々の歩みがなかったなんて考える方が難しい…

このまちで暮らしてきて感じていることは、「青森には歴史がない」というこの言葉には

弘前城のような景観がないこと

学校教育で「ふるさと青森」を伝えてこなかったこと、しかも誇りに思える青森を…

そんなことが背景にあると思います。

そして、これはもちろん無意識のことなんだろうけれど「人為」であると思います。

だから、これからも「それは違うんだよ」って

この町まちにはこんなにたくさん素敵なこと、誇りに思えることがあるんだよって

「インチキ青森びと」は叫び続けていきます。

もちろん、情緒的なものに流されず…です。